気がつけば年金生活

気ままな家族を背負い日々金策奮闘中。
気が付けば年金生活突入。
未来はどうなるのか...
家族ストレスの中、頑張ってます。

石鹸でシャンプーにはまってしまった。

最近のこと。
テレビで何の番組だったか忘れましたが
女装されてるタレントさんでナジャグランディーバさんだったと
思うのですが体を石鹸で頭から足のつまさきまで洗うと言われてました。
他のタレントさんが肌が綺麗とほめてました。


以前から石鹸で髪を洗う話を何度か聞いたことがありました。
そういえば...私(s34生まれ)の幼少期は石鹸だったのを思い出しました。
中学のころテレビでエメロンシャンプー、リンスがヒットしたのを
記憶しています。


何十年もシャンプーやリンスに慣れてくると
石鹸で洗うのをためらっていましたが、ある日、石鹸で洗うと
ガサガサして、とても使う気になれません。
またもシャンプー、リンスを使ってきました。
CMでもいろんな製品がでてますよね。
おまけに長年日用雑貨売場を担当してたのでシャンプー、リンスは
いろんなのを使ってきました。


そんなある日に、そのナジャグランディーバさんが出てる番組で
その話を聞いてタレントさん達は「ええーーーーっ!」とビックリ。
普通の固形石鹸でシャワーで洗って終わりよ、って...
いろいろ話されてるのを聞いて
私もそれでこんなに綺麗でいられるの?と驚きでした。
そこで今度は何故か?なんのためらいもなく
洗髪を石鹸に変えてみることにしました。


なんででしょう??
あんなに嫌だったのに、ガサガサはするけど前みたいに嫌じゃない。
しかも、洗い上がりに髪の毛が立ってる。
翌日は、髪がふんわり立ってるし!
で、自分のイメージ、鏡で見る自分が違って見えた。
要は髪型が昨日と違って見えました。
毛がペタッと寝ていない、立ち上がってる感じ。
おおおーーー!40代後半の時の髪に戻ったみたいと
石鹸で洗うことが気に入ってしまいました。
ネットでもその後、調べました、メリットもデメリットもあるようですが
私は花王ホワイトをネットで泡立ててモコモコにして洗ってます。
すごい気持ちいいです。
最初は手の通りがイマイチなので指先にリンスつけて
手ぐしをして洗い流してましたが慣れたらしなくても気にならなくなりました。


ドラッグストアにミヨシの石鹸シャンプーとリンスも売っていたので
今度、使用してみたいなーと思ってます。(ちょっと高い)
ちょっとだけ、おばさんくさい頭が髪がたって若い感じになりました。
花王ホワイトで少し若返り、普通のシャンプーが使えなくなりそう?
そんな現在です。



My つぶやき

秋らしい雰囲気、風が冷たい。
四季を感じない、そんな日本になったかと残念な気持ちも
少し紅葉し始めた葉を見ながらいると満更でもない。


年齢がいくようになると、ふと過去を思い浮かべては
今の自分がこの場所にいて、こんな生活してると
想像できただろうか?と思うのである。
人生とは不思議なものだ。必死で生活してる時はそんなこと思いもしない。
ただ、その日ぐらしに必死だ。
なのに、あの頃に想像もしない場所、生き方をしてるのだから
その不思議さに今は感慨深い気持ち。



人生は水の流れのごとしとはよくいったもので
自分がどう流れてどうなっていくなんてわからない。
行きつく先はどこなのだろうか。
水の流れゆく旅は時に激流であり時に小川のように穏やかなのかもしれない。
過酷な人生も、笑っていられる人生も受け止めて生きていくしかない。
どれも人生の流れ、自分は水そのものだ。


受け止めて受け止めて、精一杯生きること。
試練とて、一生続わけでもない、時に陽がさし砂利道のむこうに
花畑がでてくることもあるだろう。
その時、乗り越えた試練は貴重な体験で己を鍛えたと思いたい。
自分のどん底生活の中で自暴自棄になるほど後に後悔を生むものはない、
そう私は自分の人生で学んだと思う。



精一杯に生きる、膝が悪くなり長年勤務した会社を退職したことも
病気の姑や夫の世話をしなさい、
縁あって家に来た体の弱い嫁も
見守ってあげなさい、


どこかでそんな声が聞こえてくる、


感謝で家庭を守りなさい、
自分の居場所を大事にと、
その場所を不満で動いてはいけないと、


どんな回り道しても、きっと此処にたどりついた気がする。
そう思うと、私は人生の次のステージに立ったと思える。
長年の苦できっと魂は垢だらけだと思う。
人だから、生きてるから、いろんな感情があって当たり前だが
辛いと思えばきっと死ぬまで辛いのだろう。
安心感、生きてる事の喜び、これで良かったと素直な気持ちになるには
これまでのことを、自分が生きてこれたことに感謝を思い
生かされてる縁、私を磨き育ててくれた人、社会の縁に
深く感謝なのである。


時に思う、偶然は必然だと。
与えられたことは、きっと私には必然だったのかもしれない。
3度死にかけた命も縁あって生きてる。
精一杯生きなきゃ勿体ない、縁があったのだから。


次男のこと 現在

我が家には独身の次男がいます。
6年前のこと。
今の家に転居して数か月後に県外に就職し家を出ていきました。
どうやら、その県に彼女がいたらしいのです。
(知り合ったのは地元でした。)
いきなり、その県に行くと言い出し、夫と一緒に
アパートに行き荷物の搬入も手伝いましたが
最初に入ったアパートは次男が友人と探したアパートで
新築家賃が7万円、田舎なのに、え?ってな感じ。
しかも就職先から遠い。
これではダメだわ、と本人も思ったらしく1週間後に
安いアパートに転居しました。で、またその県にいきました。
3時間半ほど片道がかかるので、疲れました。
私のポケットマネーから20万ほど渡しました。



最初のアパートでのこと。夜の7時ころだったか
キッチン用品など包丁を新聞紙に巻いて持ってきたのですが
気をつけなきゃと思っていたのに何故か?不注意から
中指を切りました。タオルを巻いて血をとめ、深夜に帰宅。
切った瞬間、思いましたよ。
ああ、この県には縁がない、直感(勘)っていうやつですかね、
案の定、3か月後に電話がかかってきて
8月の盆に仕事辞めて彼女とも別れて戻るわ、と。


たった3か月....あの労力はなんだったの、と。
そして私の20万も無駄に?
次男いわく、その県の環境があわなかった、言葉もあわなかった、
職場では仲のいい人もできたが彼女とは別れた。
向こうから別れるといってきたし、俺も未練もない。
そこまでの気持ちもないと言い切り、1年だけという約束で
実家に戻しました。次男が29歳の時でした。



しかし....地元で正社員として再就職するもなかなか上手くいかず
何度か転職し現在は派遣で某デイラーで勤務です。
結果、県外から出戻りして5年がたちました。
1年の約束が5年....、親としては孫が小学校上がる前には
何とかアパートに出したい。
いい彼女がいれば結婚という形で家を出してやりたかった。
でも、それは夢になりました...
一人が楽なようです。
親の思うようにはいかないものだと、つくづく思います。
来年夏以降、派遣で勤務3年になるので
更に再就職なのか?派遣法でそこにいられるのか?
まったく見えてません。


全国で独身の子供を抱え
いろんなケースを読んだことがありますが我が家も
どうしたものかと日々思うばかりです。



圧迫家計を見直し

夫のバイトのお給料が毎月10日なのですが
今月は8日に手渡しですが貰ってきました。
手渡しだと振り込みと違って気持ちに深ーくありがたさが
でちゃうなーと思ってしまいます。
リストラされる前の給料の半分ほどのバイトのお給料。
でも、うれしくて神棚に置いて、今月も頂けました、と
つい拍手をうってしまいます。



持ち越しの残債が100万あるので
特に今年から来年の9月までには頑張って返済したいと思っています。
夫名義の銀行カードローンが年齢上限が65歳で来年9月には
夫は65歳、借りることは止められ返済だけになります。
とにかく、持ち越し残債を少しでも早く返したい、
その気持ちが強いです。



ママ(嫁)と相談の上、二世帯の生活費を1本化しようと決め
親夫婦と若夫婦の二本立てで別々に生活費を使っているのは
無駄が多い、我が家ではそう話がまとまりました。
とにかくやってみよう!
借金も多重より1本化というように
ならば、生活の簡素化も2本より1本化!
親夫婦から食費のみで3万渡しました。


息子が趣味や会社の飲み会で月に数万使ったりするので
ママにしたら自分の治療費(摂食障害)もままなりません。
(これで何度若夫婦が喧嘩したことか)


なので、夫の年金からしばらくの間という条件で毎月4万
ママに渡しています。
今月から計7万渡すことになりますが
私は食品をほとんど買わないでいいと思うと気が楽になりました。
私が渡す食費分3万に若夫婦が出す食費分3万
とにかく6万でやってみて、足りなければ4万渡してる中で
調整してやって!と言いました。
夫の肝臓癌の治療にもお金がかかるので私にしたらそれが限界です。



他に、夫が自分で食べたいもの、私が食べたいものは
各自で買うからそこまでは気にしないで、と。
例えば、豆大福が好きな私は、それは自分で食べたければ買うから、と。
私は家の残り物で生きてるようなもので、食費はほとんどかかっていません。
家の中で1番少ないと思います。


今月から、100万返済に向け、頑張っていきます。
ちなみに12/10のバイトの給料が最後で
来年は5月までまともに仕事がありませんので無収入。
バイト先から春に連絡がきて行くので連絡がないと無職....
なので春はドキドキものですが、そんなバイトをもう6年やってます。
仕事はもう慣れてるので切られることはないと思うけど
逆に夫の病気が悪化しないよう願うばかり。
後は年金が振り込まれることが命綱。


1年過ぎていくのがどんどん早く感じます。
何があっても頑張るしかないです。



姑のこと 2

2年目の冬、また背中が痛いといいだし
圧迫骨折で入院、今度は大暴れはしなかったけど
どこも悪くないといい病院側を困らせ1か月予定を2週間で退院。
2015も相変わらず姑宅の細かな掃除に庭の剪定作業など
相変わらずクタクタでした。
自分がいましてたことを忘れる頻度が増え
寝室のゴミ箱に嘔吐したことも
紙パンツ脱いだことも、そのまま....
姑がそうなるまでは私は介護のことも何も知りませんでした。
当時、なんで私がこんなことまで、と思いました。


夫の兄夫婦はほとんど姑宅にくることもなくなり
盆、正月に顔出す程度になりました。
長男なのに...という思いがどんどん強くなりましたが
今は、それもどうでもよくなりました。



翌年(3年目)
2016、10のこと
夫が長く通っていた病院から紹介状をもらい県の病院にいき
肝臓癌だとわかって以来、私の中でどんどん気持ちが
変化していきました。
緊迫した生活の中で夫の肝臓癌の治療費を半年も続けて出すことは
できない状態で、ましてバイトは冬にない仕事。



姑に夫が癌であることを話し、認知症の姑が
最初は何度いっても癌と理解できなかったのが、その後
癌なんやろ、私の金少ないけど使ったらいい、と言いだしました。
私はびっくりしました。その後、義姉にチラとその話をしたら
ボケた人間のこと真に受けても、と言われ的を得た返事に凹みました。
年金あるでしょ、と言われ義姉に夫の年金は月に9万しかないよ、
そう言うと義姉は無言でした。
元公務員の義兄はもっともらってるのでしょう...そう感じました。
そして公務員退職後、就職も斡旋してもらい働いてます。



しかし、その時点で姑の預貯金は400あったのが200になり
その後、夫の治療費に100使い、姑の更なる入院や
家の税金や維持費、生活費他、ほとんど消えた現在です。
実は、以前は預貯金は数千万もっていました。
そのお金は新興宗教と老人の健康販売などでいいように言われ
吸い取られて消えていました。義兄や夫がどんなに言っても
きかずに好き放題した結果です。
姑は高額な買物したことも、まったく覚えていません。


結果、私が通帳預かった時点でそれだけしかなかったです。
そして外野的な心境で思ったのが
没落する家はこうやって落ちていくのか....とも。
(本家の跡継ぎはいないので結果消えます。)



そして、今回のブログを継続する意味とは
誰にもいえない気持ち、姑に何かあったら葬式代がない!
夫が肝臓癌と告知された後、預貯金のない私は夫に万が一あったら
葬式代もない、どうしよう...と。しかし命が安定し
良かったと思える今、今度は姑の万が一を思うと不安の塊です。


現在、持ち越し残債100万、
姑の葬儀代貯金(家族葬として)100万
どうしても、これら完済&貯めないといけません。
何をどう言おうが姑の預貯金のおかげで夫は助かりました。
今度は私が頑張って姑のためにお金を準備しないといけません。
姑は84歳、今年もうっ血性心不全で入院しましたが
しっかり姑と夫をサポートしていかねばと思っています。